2010/06/15
永遠の嘘をついてくれ / 作詞・作曲 中島みゆき
中島みゆきは拓郎が好きだったって話がある。
ホントかウソか知らないけど
ミニスカートの中島みゆきが、拓郎のコンサートの楽屋を訪ねたという逸話もあるらしい。
初期の拓郎の写真を撮っていた田村仁(タムジン)さんが
中島みゆきの写真も撮っているんだけど、タムジンさん曰く
「これって、拓郎に対してのラブレターなんじゃない?」
それはさておき
'94年、泉谷しげるの呼びかけでニューミュージックの御大が集まったチャリティ・コンサート
『日本を救え!』で拓郎は中島みゆきの『ファイト!』を弾き語りで唄った。
"たたかう君の歌を
たたかわないやつらが笑うだろう
ファイト!"
この歌はまるで拓郎のオリジナルのように拓郎にフィットしていた。
中島みゆき・作と知らないファンは、拓郎の歌だと勘違いしたようだ。
それほど『ファイト!』は紛れもなく拓郎の歌になっていた。
会場でこの姿を見ていた僕は、不覚にも涙を落としてしまった。
拓郎は『ファイト!』を歌ってみて、これは自分の歌だと感じた。
こんな歌を自分は歌いたいんだと。
40歳を過ぎた拓郎は、こんな歌を歌っていた。
"歩いて来た道は 絵には書けないが
ありのままの夢を なつかしみいとおしむ
肉体の奴はいま 鋭さを失って
だからこそその肩に 時が見えかくれ
「どうして」と云う僕は 多分もういない
新しい唄が みつからないように
許せない者に 愛さえ感じたり
ウワサのかたまりを のどもとでかみくだく
あー 僕の考えていた事は
自分を自由にさせること
あー 手にするものは何も無い
あきらめられないものも無い"
〜『現在の現在』(吉田拓郎 詞・曲)
拓郎は95年、ニューアルバムのレコーディングの直前
中島みゆきを食事に誘っている。
まだ拓郎がフジテレビの人気番組で意外な復活を果たす前の話だ。
二人がきちんと向かい合って話をすることは、初めてだった。
「もう自分には『ファイト!』のような歌は作れない」
拓郎が詞・曲を他人に頼むのは、異例中の異例のことだ。
「遺書のような曲を」拓郎はそう彼女に頼んだ。
レコーディングのためバハマに発つ前日にやっと
中島みゆきのデモ・テープが拓郎に届けられた。
このテープが遅れたために、拓郎は出発前に一睡もできなかったという。
デモ・テープには、中島みゆきの泣き叫ばんばかりの思いを込めた歌が入っていたらしい。
"ニューヨークは粉雪の中らしい
成田からの便は まだまにあうだろうか
片っぱしから友達に借りまくれば
けっして行けない場所でもないだろう
ニューヨークくらい"
歌は、自分の許を去った男に向かっての未練だった。
"なのに 永遠の嘘を聞きたくて
今日もまだこの街で酔っている"
女は自分が捨てられたことに薄々と勘づいている。
男はやさしさなのか、優柔不断なのかは知らぬが、まだきっぱりと女に訣別を告げてはいない。
"君よ永遠の嘘をついてくれ
いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ
なにもかも愛ゆえのことだったと言ってくれ"
女は事実をはっきりとさせてくれない男に腹立ちも覚えるが、女自身も現実を見ようとしていないことを知っている。知ってはいても、現実を見ることが怖くて仕方ない。
『永遠の嘘をついてくれ』は、そんな男女の訣別の機微を巧みに表現していた。
しかし角度を変えて、拓郎への想いが込められていることも明瞭だ。
「もう歌が作れない」などとこぼしているかつての自分のヒーローに
「永遠の嘘をついてくれ、いつまでもたねあかしをしないでくれ」と言葉を残す。
時代の幻想だったのかもしれない。
しかし拓郎の歌がなければ、中島みゆきもいなかったかもしれない。
常に現役を生きようとする中島みゆきの潔さが、そこにはあった。
こんな切ないラブレターを受け取って、拓郎は何を思っただろうか。
"傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく
放っておいてくれと最後の力で嘘をつく
嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
やりきれない事実のかわりに"
こうして出来た拓郎のアルバム『Long time no see』発売後のライヴに出掛けた。
神奈川県民ホールの席は、埋まってはいなかった。
『永遠の嘘をついてくれ』を歌う前のMCで
「どうしてこんな歌を作ってくれたのか、全然わからないのですが…」
と拓郎は素気なく云っていたが、バハマでも眠れぬ程アレンジを練り直した拓郎の姿に
その蘇生の火は見えている。
"永遠の嘘をついてくれ
出会わなければよかった人などいないと笑ってくれ"
アルバム『パラダイス・カフェ』で、中島みゆきはこの歌をセルフ・カバーした。
(via : DE DO DO DO, DE DA DA DA)
http://www.begets.co.jp/doda/